『渋谷の歴史編』-「支社・タウン情報」
2023年2月2日
当ブログにおいて注目を集めつつある「グリーン警備保障の支社がある街のタウン情報」ですが、今回は「渋谷の歴史編」と題して、長い歴史を持つ「渋谷の歴史に関する話題」をお送りしたいと思います。
というわけで、もはやお約束となった流れの中、今回もさっそく「渋谷」に関する「歴史」についてバッチリ掘り下げていきますので、どうぞお楽しみに!
では、さっそく最初のセクションから!
■実は「渋谷」という地名は「神奈川県に由来する」ってホント?
さっそく今回の「渋谷・渋谷区」に関する歴史の話を進めていこうと思うのですが、その地域の歴史について、さまざまなことを暗示する「地名の由来」に関して言えば、実はこの「渋谷」という地名のルーツは、なんと「神奈川県に由来する」という一説があるのだそうです。
その一説によるとこの「渋谷」、なんと元々は「人名」であり、ルーツとなっているのはお隣の「神奈川県」にもその名を残す「渋谷氏」という武士の一族なのだそうです。
この「渋谷氏」とは、現在の「神奈川県大和渋谷」辺りを本拠地としていた一族であり、その本拠地は当時の「荘園(しょうえん)制度(※注1)」になぞらえて「渋谷荘」と呼ばれていました。
※注1:「荘園制度」とは、8世紀頃から戦国時代まで採用されていた「武士や公家などの貴族の領地管理システム」を指しており、管理される領地は「荘園」と呼ばれ、地名(管理する貴族の加盟)の下に「〇〇荘」と付けて呼ぶことで、誰によって支配されている地域なのか?を判別していた。
ただし、現在の「大和市渋谷」は、当時「相模国渋谷」であり、今回取り上げている「渋谷・渋谷区」の「渋谷」は、同名となる「武蔵国渋谷」を指しており、文献などに登場する時系列によっては「相模国渋谷」の方が「後付であった」という異説もあるようですので、ひょっとすると、こちらの「渋谷」の方が「神奈川県の渋谷のルーツ」なのかもしれません。
なお、この「渋谷氏」と「東京都渋谷」とは、地名の由来として一切の関係がない、という説も根強く残っているそうです(この説において、地名の由来は「塩谷」がなまったもの、とされている)ので、どの説を信用するかはもちろん、あなた次第になるでしょう。
さて、そろそろ次のセクションにまいりましょう。
■どうして「渋谷」には「坂が非常に多い」のか?
さて、続いては、現在の「渋谷」にも「土地の特徴として広く定着している」部分である「『渋谷』に坂が多い理由」について解説していきましょう。
かなりシンプルな話ではありますが、ズバリ結論からお伝えすると、実は、現在の「渋谷エリア」のベースとなっている地形そのものが、元々「深い深い谷底であった」ため、整地後も「多く坂が残ってしまった」というのがその理由です。
元々、この土地は「渋谷川(穏田川)」や、現在も地名として残る「宇田川」などが「合流する地域」でありました。
当然、当時は、河川の治水技術などが存在しなかった時期であるため、河川の流れによって、土地が侵食されることにより「谷」となります。
「渋谷」の場合、この侵食度合いが、他の地域に比べて非常に大きかった地域であったため、かなり勾配のキツい「坂」がいくつも残ってしまいました。
詳しくは後述しますが、現在は「流行の最先端を行く渋谷」も、駅が開業した1885年(明治18年)当時は「田畑が多くある田舎町」に過ぎず、かの有名な「関東大震災」によって、行く場所や住む場所を失った人々が多く移住するようになって、徐々に発展していった、という経緯もあります。
いわゆる「たらればの話」ではありますが、このような「やむを得ない移住者の増加」がなければ、今日の「渋谷」は、ここまで発展していたかどうか?であり、もし「震災がなかった世界線」が存在するのであれば、どんな経緯を歩むことになったのでしょうか?
実に興味深い所ではありますね。
■「東京屈指の田舎町」から「全国屈指の繁華街」に変貌を遂げるまで
前述した通り、この「渋谷」のターニングポイントのひとつは「関東大震災によって移住者が一気に増加した」というものでしたが、もうひとつのターニングポイントは「とある事情によって、当時の若者が『新宿』に集まることを避け、渋谷に集中するようになった」という不思議な話です。
「新宿」が避けられるようになった原因には、なんと1969年(昭和44年)当時の「ベトナム戦争に対する反戦運動」が関係しているのだそうで、当時の「新宿」では、反戦を訴える名目で「無許可のフォークソング集会」がいくつも催され、警察による介入によって強制的に解散させられる事態へと発展していったのだそうです。
その後、多数の逮捕者を出す事態へと、状況がエスカレートしていったこともあり、トラブルを防ぐため、若者側も「新宿ではなく、当時発展著しかった渋谷へと多く足を運ぶようになった」と言われています。
それ以前から、この「渋谷」では、皆さんもごぞんじの「東急グループ」による再開発が行われていたのですが、前述したような「渋谷の地理的な問題」によって「広く、整備された道路網」への改良が困難だったこともあり、繁華街としての実力も伸び悩んでいたそうです。
しかし、さまざまな経緯や、偶然が重なったことにより「渋谷」は、現在私たちが知る「国内でも有数の繁華街」「三大副都心の一角」「若者文化・流行の発信地」として成長を遂げていくようになりました。
■若者文化・流行の発信地「渋谷」の今後はどうなっていく?
さて、今回最後のセクションでは、我らが「渋谷」の「今後」についての考察・解説を進めていきましょう。
実はこの「渋谷」ですが、これからの時代を引っ張っていくであろう「社会の牽引役」である「IT企業が多く集まっている都市」という、面白い特徴を持っています。
その証拠に、アメリカの「シリコンバレー」をもじり、地名にもある「谷=バレー」という所から「ビットバレー」という異名を付けられるほど、その特徴は、年々際立っていっているようです。
以前、本家の「シリコンバレー」でも中核となっている「Google」や「Amazon」など、いわゆる「GAFA(ガーファ・※注2)」の一角が「渋谷」オフィスを撤退する事態が立て続けに起こりましたが、現在では街ぐるみで「既存IT企業の流出防止・新規IT企業への招致」を行っており、今後も「ビットバレー」の発展は続くと考えられます。
※注2:「GAFA」とは、アメリカのIT企業の中でも、特に規模が大きい「Google・Apple・Facebook(2021年に「メタ」に社名を変更)・Amazon」の4社を指す造語。
このように、時代の変化に沿った、新たな側面を押し出している真っ最中、という印象もある「渋谷」ですが、今後の「渋谷」が発展を続ける姿を楽しみにしつつ、今回はこの辺で「渋谷の歴史編」を締めることにしましょう。
■まとめ:「渋谷支社」を有する「グリーン警備保障」の仕事を始めよう!
さて、今回は「グリーン警備保障の支社がある街」の中から「渋谷の歴史編」をお送りしましたが、皆さんいかがでしたか?
今回の「渋谷支社」ももちろんのこと、私たちグリーン警備保障では、数多くの支社・営業所で幅広く「警備の仕事」を取り扱っておりますが、まだまだ「支社がある街に関する情報やエピソード」については勉強中です。
より「地域」に密着した形で、メインとなる「交通誘導警備」を数多く任せていただけるような「信頼」を得るためにも、「支社のある街」に関する情報発信を進めていきたいと思っています。
こちらの記事を見て、地元「渋谷」をはじめとする、さまざまなエリアの警備のお仕事に興味の湧いた方は、未経験者でも働きやすい、グリーン警備保障へのご応募を検討してみてはいかがでしょうか?