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グリーン警備保障の「支社・タウン情報」〜「取手の歴史」編〜

2022年6月1日

今回は「グリーン警備保障の「支社・タウン情報」〜「取手の歴史」編〜」と題して、当ブログとしては初の試みとなる「支社のある街に関するタウン情報」をお送りしたいと思います。

第一回目の「支社のある街」は、2022年に開設した「茨城エリア」の「取手」が登場、さらにこの「取手」に関する「歴史」についてバッチリ掘り下げていきましょう!

では、さっそく最初のセクションから!

 

■歴史の中にみる「取手」の名前の由来とは?

 

 

さて、さっそく今回の「取手」に関する歴史の話を進めていこうと思うのですが、地元の方でなくても気になる部分が「その歴史の中で、どのようにして『取手』という地名が付けられたのか?」という「地名の由来」でしょう。

 

この「取手」という地名の由来ですが、一説によると「戦国時代(安土桃山時代)」までさかのぼるとのことだそうです。

ルーツが「戦国時代」という所で、なんとなくでも「ピーンと来てしまった」方もいらっしゃるかもしれませんが、実はこの「取手」という地名は、平和な現代の日本では、まずお目にかかれない「ある建物・施設」にちなんだものだと言われています。

 

「戦国時代」にも大いに関連がある「ある建物・施設」とは一体?と思う方もいるようですので、その答え合わせをしておくと、その「建物・施設」とは、読み方が同じとなる「砦」のことなのだそうです。

この「砦」ですが、言葉の意味の大半は理解できるものの「実際に他人に説明する」には、非常に「定義づけ」が難しく「城とどう違うの?」と聞かれたら困ってしまう方も多いでしょう。

 

この言葉を細かく説明する場合、まず重要となるのが「砦は要塞の一種」であり、「要塞」の一般的な意味は「重要拠点を守るべき軍事施設」とされています。

要は「砦も城も要塞の一種」ということになるのですが、日本の場合「城」の多くには『城下町』などが栄えているため、「都市を防衛する目的」で建てられているのが「城」であり、対する「砦」は「あくまで一拠点を守るものに過ぎない」と定義するのが一般的です。

しかし、この「取手」の地名の由来となっているのは、当時この地を治めていたとされる「大鹿太郎左衛門」が築いたと言われる「大鹿城」だと言われていたらしく「城と砦の境界線」はかなり曖昧(あいまい)なものといえるでしょうね。

 

ただ、このお話はあくまで「一説」に過ぎず、現在の「取手」周辺の地名の多くが「平安時代」の文献に登場していることから、地名の由来は「戦国時代」以前にさかのぼるのでは?という意見もあるようです。

他にも、日本史の授業などで必ずと言っていいほど登場する、あの「平将門」が築いた「砦」が由来となっているという説もあるそうですよ?

 

■バリエーション豊富? 正しいのは「取手・鳥手・鳥出」のどれ?

 

 

さて、前セクションでは「砦→取手」となった、というお話でしたが、このセクションでは、歴史の中で「取手」の他にもさまざまな「地名のバリエーションがあったのでは?」というお話をご紹介していきましょう。

 

実は、現在地名として定着している「取手」の他にも、歴史書などの当時の文献には「鳥手・鳥出」などで登場する場合もあるとのことです。

実際に、現在の「取手市」は、当時から広く知られていた「利根川」に沿った形で存在しているため、川近くに生息する「鳥」が飛んでいく(出ていく)シーンをイメージした場合「鳥出」などの方が合っているのかもしれません。

 

ただ、近代以降の地名については、さまざまな要因から「同一の地名を避ける」、もしくは「読み方は同じでも別の漢字をあてる」ことが推奨されているため、混同しやすい「鳥手・鳥出」という地名を避けた、という事も考えられます。(神奈川県に「鳥手山」という山名・地名もありますね)

このように、近代以降は厳密なルールが定められた地名ですが、当時は「表記ゆれ」なども多く存在し、場合によっては「地元住民の間でも地名の感じが異なったまま把握しているケース」や「文献の著者のイメージで表記が変わっているケース」もあったようですので、ひょっとすると由来は同じでも、過去は「違う漢字表記が一般的だった」のかもしれません。

 

■元々は「千葉県」だった? 〜明治以降の「取手」の移り変わり〜

  

さて、続いてのお話は「明治以降の『取手』の移り変わり」について、いくつかエピソードをご紹介していきましょうか。

 

日本史の授業でも有名な、1871年(明治4年)の「廃藩置県」により、それまでの土地区画のベースとなっていた「藩」は「県」という形に姿を変えていきました。

しかし、この当時は「新治県(にいはりけん)」と「印旛県(いんばけん)」という、いずれも「地名として現存しない県」にまたがるように存在していた「取手」は、早くも2年後の1873年(明治6年)に「印旛県」側が「千葉県」に属することになります。(現存する「小貝川」以南の地域が印旛県→千葉県となった)

この時点では、セクションタイトルにもあるように「千葉県」であったのですが、さらに2年後の1875年(明治8年)には、早くも現在の形である「茨城県」への編入が決まります。

この際、上記の「新治県」は廃止されることになり、現在の「取手」の全エリアが「茨城県」へと移り変わることになりました。

 

ただ、この当時は「北相馬郡取手村」という「村」であったのですが、「茨城県入り」からしばらくした1889年(明治22年)に施行された、「市制町村制」により同郡「台宿村」を合併した形で「取手町」が発足し、より現在の形へと近づいていくことになるのです。

この「取手町」ですが、戦後となる1955年(昭和30年)には、他の地域と共に「新設合併」を行い、いわば「2代目取手町」となるなど、現在の形になるにはまだもう少しだけの変身が必要な地域でありました。

 

■市制施工後50年以上の歴史を持つ「取手市」

 

 

さて、今回最後となるセクションでは「取手市」の発足とその歩みについて、いくつかエピソードをご紹介していきましょう。

 

前述の「取手町」ですが、正式に「町から市」になったのは、1970年(昭和45年)10月1日のことでした。

地名の他にも、旧「取手町」からはシンボルである「町章」を引き継ぐ形で「市章」を使用しており、その点からも他のエリアに比べるといくぶんスムーズな形で「町→市」への移行を遂げたようです。

ただ、まだ記憶にも新しい時期である2005年(平成17年)には、新たに「北相馬郡藤代町」を編入させており、編入の後に、こちらもシンボルである「市の花・木・鳥」を改訂しています。(旧「藤代町」の「町の花・木・鳥」を反映させた形に変更)

 

そんな「取手市」ですが、まだまだ記憶に新しい2020年(令和2年)には「市制施行50周年」を迎えています。

本来であれば、市をあげてこの記念すべき年をイベントなどで盛り上げたい所でしたが、ごぞんじの通り「新型コロナ感染症」の影響により、お祝いの場も必要最小限の範囲に抑えざるを得ませんでした。

残念なことではありますが、今後も「取手市」は発展を続けるでしょうから、次の大きな節目の際には、多くの人が「周年イベント・記念」に足を運ぶ様子が見られることでしょうね。

 

■まとめ:「取手支社」を有する「グリーン警備保障」の仕事を始めよう!

 

さて、今回は「グリーン警備保障の支社がある街」の中から「茨城エリア」の「取手の歴史編」をお送りしましたが、皆さんいかがでしたか?

支社の中でも、新しい部類に入る「取手支社」をはじめ、私たちグリーン警備保障では、数多くの支社・営業所で幅広く「警備の仕事」を取り扱っておりますが、まだまだ「支社がある街に関する情報やエピソード」については勉強中です。

より「地域」に密着した形で、メインとなる「交通誘導警備」を数多く任せていただけるような「信頼」を得るためにも、「支社のある街」に関する情報発信を進めていきたいと思っています。

こちらの記事を見て、地元「取手」をはじめとする、さまざまなエリアの警備のお仕事に興味の湧いた方は、未経験者でも働きやすい、グリーン警備保障へのご応募を検討してみてはいかがでしょうか?

 

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街中での歩⾏者や⾞に対しての安全でスムーズな案内・誘導業務です。

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