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グリーン警備保障の「支社・タウン情報」〜「浜松の歴史」編〜

2022年7月1日

今回は「グリーン警備保障の「支社・タウン情報」〜「浜松の歴史」編〜」と題して、当ブログとしては新しい試みとなる「支社のある街に関するタウン情報」をお送りしたいと思います。

早くも第二回となる「支社のある街」は、こちらも2021年にデビューしたホヤホヤの営業所がある「浜松」が登場!(第二回目にして、すでに「支社のある街」ではなく「営業所のある街」とはなっていますが)

今回も「浜松」に関する「歴史」についてバッチリ掘り下げていきましょう!

では、さっそく最初のセクションから!

 

■さまざまな顔を持つ「〇〇の街 浜松」の由来、そして「名古屋との意外な共通点」とは?

 

 

さて、さっそく今回の「浜松」に関する歴史の話を進めていこうと思うのですが、地元の方だけでなくても、こちらの「浜松」の名前の由来が気になることだと思います。

ただ「浜松」という地名の由来ですが、一説によると「古代には『はまつ』と呼ばれる地域だった」と言われているそうです。(諸説あり)

この「はまつ」の内、「つ」に関しては、皆さんもよくごぞんじの「津」という漢字が当てられていると考えられており、この「津」とは現代でいう「港」を意味していることもあるので、古くから「水上運送」と深い関係性があったようです。(海だけでなく川(天竜川)を伝って荷を運んでいた?)

 

車や鉄道、飛行機など、より早く荷物を運べる手段が多く存在する現代に比べ、当時は流れの力と浮力を活かして、より少ない労力で多くの荷物を運べる「水上運送」が重宝されており、特に材木などは「川」伝いに運ばれることがほとんどでした。

この「浜松」も、材料となる木材がより多く集まるようになったため、その名残りからか多数の「楽器メーカー」が集中し、今日では「楽器の街」という異名を持つようにもなっています。

実は、この「水運が活発→木材が多く集まる→楽器メーカーが増える」という流れは「浜松」の他「名古屋」にも当てはまっているそうですが、「浜松」には「楽器メーカー」が多く、対する「名古屋」にはメーカーの他にも「楽器問屋」が多く集まっているそうです。

そして、このふたつの都市には、もうひとつの共通点があり、実はどちらも「自動車工業が盛ん」という特徴があるのですが、この「浜松」の場合、現在も本社を構える「スズキ」の他に、「ホンダ」もこの「浜松」が発祥の地(当時の社名は「本田技術研究所」・現在の本社は東京都にある)となっているため「自動車工業の街」とも言える立場でもありますね。

 

さらにもうひとつ、この「浜松」と「名古屋」の意外な共通点があるのですが、それはズバリ「ブラジルとの密接な関係」でしょう。

実は、この「浜松」と「名古屋」は、どちらも「ブラジル連邦共和国総領事館」が存在しており、これは「東京以外の地方都市において、この2都市だけ」になっているのです。

この状況も手伝ってか、両都市には「ブラジル文化からの影響」もチラホラ見受けられるほどであり、さらにこの「浜松」には、なんと「ブラジル銀行 浜松支店」もあるというのだから驚きですよね?

 

■1万年以上前は「浜北人」が住んでいた! 〜古代の「浜松」〜

 

 

では、そんな「浜松」の意外な一面に続いて、気になる「浜松の歴史・古代編」を進めていきましょう。

 

現在「浜松」として知られているこの地域には、およそ「1万4000年〜1万8000年前」に生きていたとされる「浜北人(または浜北原人)」の人骨が見つかっており、歴史の授業でもおなじみの「縄文時代」、もしくはそれ以前となる「旧石器時代」から、ヒトが住んでいた証拠となっているそうです。

ごぞんじの方も多いように、この頃の人々の暮らしは「狩猟採集」によって支えられていたことから、この「浜松」の地が当時から「豊富な動植物」に恵まれた『住みやすい土地』であったことを裏付ける一因ともなっています。

 

その後、紀元前2000年頃には、現在の「中区蜆塚(しじみづか)」辺りに「集落」が形成され、これらの痕跡は地元住民の間でも有名な「蜆塚遺跡」として現代に伝わっています。

このように、古代における「浜松」の地は、主に「海からの狩猟採集」をベースに成り立っていた部分もあり、歴史上古代に区分される「10世紀以前」には、この地が前述の通り「はまつ=浜津」と呼ばれていたことにもつながっている、と考えられているそうです。(「はままつ=濱松・浜松」となったのは、平安時代の後半頃から鎌倉時代の間だったとも考えられている)

 

■後の天下人『徳川家康』最初の拠点? 〜中世以降の「浜松」〜

  

続いて中世(鎌倉時代〜戦国時代)における「浜松」の歴史について、いくつかご紹介していきましょうか。

 

この時代の「浜松」は、前述したように「多くの人々が生活を共にする」地域であったことや、1156年(保元元年)に起こった「保元の乱」により、朝廷の内紛に「武士」が駆り出されてことも手伝ってか「武家の拠点や支配地域」としても知られるようになっていきました。

そして、この時代の「浜松」における「武家の拠点」として、有名なのが後に「浜松城」に改称されることとなる「曳馬城」(築城者は不明とされているが、今川氏が有力だと言われている)でした。

 

この時点で、日本の歴史に詳しい方や、戦国時代に造形の深い方であれば、先程チラッと登場した「今川氏」や、その中でも有名な「今川義元」を思い浮かべた方も多いことでしょう。

そして、この「今川義元」といえば「桶狭間の戦いで織田信長に破れた武将」としても有名ですが、後の天下人である「徳川家康」が人質として下っていたことでも知られています。

 

そして「桶狭間の戦い」の後に「今川氏」のもとを離れた家康は、独立して紆余曲折の後に前述した「曳馬城」を接収、入城(1570年)し「浜松城」に改称、自らの「居城・拠点」としています。

この「浜松城」への改称後、家康は城の拡張とともに、城下町の形成にも力を入れており、これが近代以降の「浜松」の発展の礎だった、とも考えられているそうです。

ただ、家康自身は、入城から16年後の1586年に、居城を駿府城へと移行していますが、以降の「浜松城」は「歴代城主が江戸幕府内で出世する」例が多かったことから「出世城」としても知られるようになっています。

 

■一時は「県」? 近世以降の「浜松」 〜江戸時代から現在まで〜

 

 

時は変わって「江戸時代」、その265年間に「浜松」の地は「浜松藩」へと変化しますが、22人の藩主による統治の後に「明治時代」へと移行します。

しかし、この時期とほぼ時を同じくして施行された、おなじみの「廃藩置県」によって、この「浜松藩」は「浜松県」へと移行、前セクションで取り上げた「浜松城」も1873年(明治6年)には「廃城」となったそうです。

ただ、こちらの「浜松県」は、本当に一時的なものでしかなく、上記からわずか3年後の1876年(明治9年)には、現在と同じ「静岡県」へと合併することになりました。

 

後の1911年(明治44年)には、市制移行により「浜松市」が発足していますが、この時に制定された「初代浜松市章」は、後の2005年(平成17年)に現在のものとなる「2代目浜松市章」へと代替わりを果たしています。

その他にも2007年の「政令指定都市移行」や、2011年の「市制100周年」など、おめでたいトピックが多い「浜松市」、今後もより一層の発展が期待できる「歴史ある街」として、地元住民ならずとも居続けて欲しいものですね。

 

■まとめ:「浜松営業所」を有する「グリーン警備保障」の仕事を始めよう!

 

さて、今回は「グリーン警備保障の支社(営業所)がある街」の中から「浜松の歴史編」をお送りしましたが、皆さんいかがでしたか?

今回の「浜松営業所」をはじめ、私たちグリーン警備保障では、数多くの支社・営業所で幅広く「警備の仕事」を取り扱っておりますが、まだまだ「支社がある街に関する情報やエピソード」については勉強中です。

より「地域」に密着した形で、メインとなる「交通誘導警備」を数多く任せていただけるような「信頼」を得るためにも、「支社のある街」に関する情報発信を進めていきたいと思っています。

こちらの記事を見て、地元「浜松」をはじめとする、さまざまなエリアの警備のお仕事に興味の湧いた方は、未経験者でも働きやすい、グリーン警備保障へのご応募を検討してみてはいかがでしょうか?

 

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