『浜松の歴史Vol.2編』-「支社・タウン情報」
2022年12月1日
「グリーン警備保障の支社がある街のタウン情報」。今回からは、一度ご紹介した地域を「より深掘りするため」に「浜松の歴史Vol.2編」と題して、前回は網羅(もうら)できなかった「浜松市の歴史に関する話題」をお送りしたいと思います。
前回の内容を、より保管する形ではじまった「Vol.2」ですので、内容をすでに忘れてしまった方も多いでしょうから、まずは「浜松の歴史のおさらい」からスタートです!
■まずは「浜松市の歴史」を振り返ってみよう!
まずは前回のおさらいからとなりますが、こちらの「浜松市」は、非常に古くからの歴史が残る地域となっています。
中でも有名なエピソードが「当時、日本初の炭素年代測定法を用いて、市内の浜北地区から出土した『浜北人』が、およそ『1万4000年〜1万8000年前』に生きていたことが証明されている」というものであり、間違いなくこの地域における歴史、または「人々の生活の痕跡」として最も古いもの、だと言えるでしょう。
続いて、少しだけ時代が飛びますが、中世における「浜松の歴史」の中でも、特筆すべきものが「後の天下人、徳川家康の拠点であった」というものでしょう。
ただ、これは、家康自身が、この「浜松の地」を支配していた「今川氏」の「人質」として、この地で一時期を過ごしたことも大きく関係しています。
歴史の授業をはじめ、ドラマや小説、映画やアニメなどにも数多く取り上げられる、戦国時代を代表する戦(いくさ)のひとつ「桶狭間の戦い」によって、当主「今川義元」の呪縛(じゅばく)から解き放たれた家康は、今川家から「曳馬城」を接収、現在でも知られる「浜松のシンボル・浜松城」へと改名して自らの居城としています。
やがて、江戸幕府の成立からしばらくして、家康はその生涯を閉じますが、その後300年足らず、幕府はその形を維持し続けた後に、激動の幕末を経て、明治時代に移行します。
その後、一瞬「浜松藩→浜松県」として「廃藩置県(はいはんちけん)」による変化を体感するものの、わずか3年の後に現在の「静岡県」へと合併することになりました。
ここまでが前回のおさらいとなりますが、もう一度読み返してみたい!と思った方のために、前回の記事へのリンクをご用意しました。
さて、そろそろ次のセクションにまいりましょう。
■ブラジルの他にもたくさんある?「世界とつながる浜松市」
続くセクションでは、一風変わったセクションタイトルが目を引きますが、一体どういうことなのか、詳しく解説していきたいと思います。
前回の歴史編では「浜松と名古屋の意外な関係性」の一部として「浜松とブラジルの意外なつながり」について、詳しくご紹介しましたが、実は、ブラジルの他にも数多くの「海外姉妹都市・友好提携都市」が存在しているのです。
その一部を箇条書きで並べてみると、
【姉妹都市】
・アメリカ、ワシントン州の「キャマス市・シェへリス市」
・カリフォルニア州の「ポータービル市」
・ニューヨーク州の「ロチェスター市」
【友好提携都市】
・ポーランド共和国のワルシャワ市
・イタリア共和国のボローニャ市
・インドネシア共和国のバンドン市
などなど、そうそうたるメンバーが集まっています。
中でも、サッカーファンなら気になる存在としては「イタリア・ボローニャ市」ではないでしょうか?
世界的に有名な同国内のサッカーリーグである「セリエA」において、ビッグネームかつ実力派クラブとして知られる「ボローニャFC」のホームタウンである同市と、同じくサッカーが盛んな県として有名な「静岡県」の「浜松市」が親交を深めているだなんて、かなり胸アツな話ですよね?
■「浜松市」が「農業に強くなった」理由とは?
続いてのお話は、この「浜松市」の中でも、屈指の産業のひとつである「農業」が、なぜこの地域でこのような位置に君臨しているのか?について、詳しく解説していきましょう。
まずは、この「浜松市」における「農業の規模」から見ていくと、2006年と少々古いデータとはなりますが、なんと「全国4位の産出額」をマークしています。
では、どうやってこのような立場となったか?について、あくまで予想の範疇(はんちゅう)とはなりますが、考察していきたいと思います。
理由としては、前回でその経緯を詳しくご紹介した、昭和・平成の2回に及んだ「周辺地域との合併」が深く関係しています。
例えば、2005年(平成17年)には、それまで独立した「市」であった「浜北市」や「天竜市」をはじめ、町村域を含めると「12もの地域自治区」を編入させています。
この内、現在の「天竜区」を構成する地域では、豊富な森林と豊かな水源(湖・河川)によって、農業をはじめ、林業などもさかんな地域であり、もうひとつの「浜北区」は、もともと「遠州平野の最北端」という「農業に向いた地域」となっており、さらに「かねてから植木生産がさかんであった」などの特徴がありました。
言うならば、すでに有力な選手を「FA(フリーエージェント)制度」を利用して自チームに移籍させる「プロ野球チーム」のようなものだった、というわけなんですね。
これらの「補強」が功を奏し、我らが「浜松市」は一躍「大農業地帯」としての実力を手に入れ、これからもさらなる発展を続けていくでしょう。
■「浜松」が誇る「五社・諏訪神社」は、かつて「国宝だった?」
さて、今回最後のセクションは、これまた興味をそそる「国宝」というキーワードが目立つタイトルとなっていますが、一体どういうことなのか、さっそく解説していきましょう。
こちらの「国宝」とは、「浜松市中区」に存在している「五社・諏訪神社」の内、旧「五社神社」に存在した「3代将軍家光によって1641年(寛永18年)に再建された権現造りの社殿」を意味しています。
さらに、こちらの「五社・諏訪神社」という神社についても、パッと聞いただけではわからないことも多いので、解説をしていきましょう。
もともと、この地には「五社神社」と「諏訪神社」という別々の神社が、仲良く隣同士で建っていた、と言われているそうです。
そして、前述の通り「五社神社」の方には、家光ゆかりの社殿が建てられていましたが、こちらは1945年(昭和20年)における「浜松空襲」にて、全焼・焼失した後、1960年(昭和35年)、新たに「五社神社・諏訪神社」という名称で「法人格」を統一した、というのが、現在に至るまでの経緯となっています。
ちなみに、現在の「五社神社の社殿」は1982年(昭和57年)に再建されたものであり、こちらも荘厳な姿を現代に残していますから、興味のある方は、ぜひ足を運んでみてくださいね。
■まとめ:好調の「浜松支社」で「グリーン警備保障」の仕事を始めよう!
さて、今回は、数ある「グリーン警備保障の支社がある街」の中から、全体で2回めとなる「浜松の歴史編Vol.2」をお送りしましたが、皆さんいかがでしたか?
私たちグリーン警備保障では、今後も数多くの支社・営業所を幅広く展開していく予定ですが、その中でも「支社がある街に関する情報やエピソード」をより詳しく知り、支社だけでなく『グリーン警備保障』にとっての「地元のひとつ」として理解を深めていきたいと考えています。
地元に詳しい人材が、今後も数多く「グリーン警備保障の仕事」に携わり、さらに理解を深めていくことで、きっと私たちも、より一層「地元への愛着」を得るようになっていくでしょう。
こちらの記事を見て、地元「浜松市」をはじめとする、さまざまなエリアの警備のお仕事に興味の湧いた方は、未経験者でも働きやすい、グリーン警備保障へのご応募を検討してみてはいかがでしょうか?