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『江東の歴史Vol.2編』-「支社・タウン情報」

2023年1月6日

当ブログにおいて注目を集めつつある「グリーン警備保障の支社がある街のタウン情報」ですが、今回からは、一度ご紹介した地域を「より深掘りするため」に「江東の歴史Vol.2編」と題して、前回は網羅(もうら)できなかった「江東区の歴史に関する話題」をお送りしたいと思います。

前回の内容を、より保管する形ではじまった「Vol.2」ですので、内容をすでに忘れてしまった方も多いでしょうから、まずは「江東の歴史のおさらい」からスタートです!

 

■まずは「江東区の歴史」を振り返ってみよう!

 

 

まずは前回のおさらいからとなりますが、この「江東区」を含む土地のほとんどは、かつて「海」であり、はるか昔「江戸時代」に、大規模な埋め立てが行われたことで、皆さんがごぞんじの「江東区」となりました。

 

では、なぜ「埋め立てて」まで、この地を確保しようとしたのでしょうか?

その答えは「当時の新田開発によるものだった」というのが、一般的な説となりますが、やはり「埋め立て」という非常に「お金のかかる手段」を用いていることからもわかるように「江戸幕府が新田開発を主導していた」という図式が容易に考察できますね。

 

実際に、当時の「江戸幕府」というよりも「為政者としての徳川家康」は、天下統一前の1590年(天正18年)の江戸入府直後から「日比谷入江の埋め立て」を開始しています。

この政策によって、いわば「半島化」していた地域を「地続きの土地」へ次々と生まれ変わらせた家康は、明確に「後の江戸の繁栄」をイメージした上で、このような埋め立て事業を次々と行っていったのです。

 

そして、埋め立てによって作られた「江東」の地域は、その後、有名な「明暦の大火(めいれきのたいか)」がきっかけとなった「寺社・武家屋敷の大量流入」によって、後に「下町」となる地盤を固めた、と言われています。

 

ただ、埋め立てられる前からこの地に存在していた「河川」は、後に「水運のための水路」として利用されることになり、その流れで「江東」を含む江戸の広い範囲で「水運」を中心とした物流が盛んになっていったようです。

 

実際の所はわかりませんが、前述の「明暦の大火」は「江戸の街の土地整備をまっさらな状態から行うための幕府の陰謀だった」という話もあるようで、もしそれが本当ならば、前述の「埋め立て」もその陰謀の一部であり、名目上は「新田開発」として人々の目をごまかしていた、なんていう話も想像できちゃいそうですよね。

ここまでが前回のおさらいとなりますが、もう一度読み返してみたい!と思った方のために、前回の記事へのリンクをご用意しました。

→こちらの記事も合わせてご覧ください。

さて、そろそろ次のセクションにまいりましょう。

 

■23区でも珍しい?「緑がやけに多い江東区」の理由とは?

 

 

 

続くセクションでは、今回の主役である「江東区」の「23区内でも珍しい特徴」のひとつとして挙げられている「緑がやたらと多い」ということについて、詳しく解説していきたいと思います。

この「緑がやけに多い」というのは「江東区」を中心とした「臨海副都心」において、かつて「ゴミの埋め立て地」というイメージや環境の悪さを払拭(ふっしょく)するために、積極的に「草花や並木などが植えられた」という「都市開発の裏側」によるものです。

 

かつて、この「江東区」と「杉並区」の間では「東京ゴミ戦争」と名付けられた「ゴミの処理・処分を巡る紛争」が起こるほどの状況を抱えており、「戦争終結」が宣言された1971年(昭和46年)以降、行政による環境改善が進められていました。

その流れで、当時「ゴミ処理場」だった場所の多くに、新興開発地として多くの人の手が入り、近代的な街並みが整っていくとともに、前述の通り「草花や並木などが植えられて」いった、というのが、この話の「正体」です。

ただ「臨海副都心」といえば、今日では「オフィス街」のイメージを持っている人も多いようですが、その間を縫うように「公園」が多く配置されており、下町に向かうにしたがって「緑の量が増えていく」ので「江東区」トータルで見ると『緑がとても多い特別区』になる、というわけなんですね。

 

■「江東」の地名のルーツは、なんと「江戸時代」までさかのぼる?

 

続いてのお話は、今回の主役「江東区」における「江東」という地名のルーツを探っていこう!というお話ですが、すでに前のセクションにて「江戸時代の埋め立て以降栄えていった」というお話をしてしまっています。

ただ、この「江東」という地名にも「江」という「海に関連する言葉」が含まれており、ここからも「埋め立て以前から存在する地名なのでは?」という予想が成り立ちそうですよね?

その真相はいかに?という所ですが、種明かしをしてしまうと、この「江東」というのは、今もこの地に残る地名である「深川」や「隅田川」の「東の部分」にあたる、という点から、なかば「自然発生的に定着した名称」だった、という説が有力視されています。

だからこそ、他の地名のように「明確にはっきりとした地名の起源がわからない」状況になってしまっている、と前後の辻褄(つじつま)まで合致しています。

 

ただ、皆さんごぞんじの「特別区としての江東区」は、地名の起源が明確となっていますので、ご心配なく。

その辺のお話は、次のセクションに託す形で進めていきましょう。

 

■「深川区」+「城東区」=水彩都市「江東区」?

 

 

今回最後のセクションは、先程の「前フリ」通り「特別区としての『江東区』の成り立ち」と「その歴史」について解説していきましょう。

 

セクションタイトルにもあるように、この「江東区」は、1947年(昭和22年)に、それまで独立した「区」であった「深川区」と「城東区」が合併する形で誕生しています。

前述したように「江東区」の「江」という文字には「深川」という意味が込められていますが、もうひとつの「東」という文字は「城東」を表しているということになり、この「地名の由来」は、他ならぬ「城東区会」で先に可決されたそうです。(数日後に深川区会でも可決している)

 

さて、このような成り立ちで誕生した「江東区」ですが、その土地の大部分が「海抜ゼロ地点、または海抜マイナス地点」となっている所から「水彩都市」という、しゃれた異名を持っています。

今後はこの「水彩都市」という名称が「江東区」の発展にともなって、より広く拡散していくことでしょうね。

 

■まとめ:好調の「江東支社」で「グリーン警備保障」の仕事を始めよう!

 

さて、今回は、数ある「グリーン警備保障の支社がある街」の中から、全体で2回めとなる「江東の歴史編Vol.2」をお送りしましたが、皆さんいかがでしたか?

私たちグリーン警備保障では、今後も数多くの支社・営業所を幅広く展開していく予定ですが、その中でも「支社がある街に関する情報やエピソード」をより詳しく知り、支社だけでなく『グリーン警備保障』にとっての「地元のひとつ」として理解を深めていきたいと考えています。

地元に詳しい人材が、今後も数多く「グリーン警備保障の仕事」に携わり、さらに理解を深めていくことで、きっと私たちも、より一層「地元への愛着」を得るようになっていくでしょう。

こちらの記事を見て、地元「江東区」をはじめとする、さまざまなエリアの警備のお仕事に興味の湧いた方は、未経験者でも働きやすい、グリーン警備保障へのご応募を検討してみてはいかがでしょうか?

 

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