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『新宿の歴史編』-「支社・タウン情報」

2023年3月2日

当ブログにおいても、かなり定着した感のある「グリーン警備保障の支社がある街のタウン情報」ですが、今回は「新宿の歴史編」と題して、一風変わった紆余曲折を持つ「新宿の歴史に関する話題」をお送りしたいと思います。

では、今回もさっそく「新宿」に関する「歴史」についてバッチリ掘り下げていきますので、どうぞお楽しみに!

 

では、さっそく最初のセクションから!

 

■過去の「新宿」は「屈指の実力を持つ農村地帯」だったってホント?

 

 

さて、今回も「新宿・新宿区」に関する歴史の話を進めていこうと思うのですが、実はこの「新宿」という街、もともとは、現在と異なる「農村地帯」だったと言われています。

ただ「一面に畑地が広がっている農村」というわけではなく、その中心となっていたのは「江戸時代」に発展した「宿場」であり、もともと「宿場」であったことを示すために「新宿」という「宿の字を含んだ地名」になっているのだそうです。(宿場町としての新宿に関する解説は、後述します)

 

この時代から少し進んだ「明治初期」の頃の「新宿区」、現代に残る当時の地図を見てみると、広大な「新宿区」の土地のおよそ半分以上が「農地」となっており、この中に含まれる「四谷」などを除き、そのほとんどが森や「湿地帯」であったため、比較的「農地に向いていた」ということがわかります。

当然、それ以前の時代には、この「農地」が占める範囲も広かったでしょうし、近代的な移動手段がなかった時代ですから、いかに「宿場町」としての機能を求めた所で、それを利用する「宿泊客」が現代のように多くないわけで、したがって「宿泊施設やそれに準ずる施設」もそこまでは多くなかった、ということが予想できます。

 

ただ、現在の「新宿」の姿を考えると、この当時「宿場町」としての評判や「宿場町としての機能」があったおかげで、今の「新宿」が成り立っているとも言えるわけですから、ある意味「当時の名残が色濃く残っている」と言っても過言ではないかもしれません。

さて、そろそろ次のセクションにまいりましょう。

 

■現在の「新宿」のプロトタイプ?かつての「内藤新宿」とは?

 

 

さて、続いては、この地域の歴史とも大きな関係のある「地名の由来」に関するお話を進めていきましょう。

 

この「新宿」は、前述した通り「かつて宿場町として栄えた」所からその名がつけられていますが、では、この地域を「宿場町として」発展させた「きっかけ」は、一体なぜだったのでしょうか?

実は、1698年ごろ、この地に「信州高遠藩主」であった「内藤氏」の「下屋敷(※注1)」が存在していたそうなのですが、その一角に、当時から有名な街道のひとつとして知られた「甲州道」の「宿駅」が新たに設置されることとなり、前述の「内藤氏」の名前を取って「内藤新宿」と呼ばれるようになったそうです。

※注1:下屋敷とは、大名や豪商などが構えた「本宅(上屋敷)」に対して、別に立てられた「別宅や控えの邸宅」を指す。

 

しかし、ここで現代の私たちからすると「なぜ信州の藩主の下屋敷がこの地に建てられていたのか?」という疑問が生まれますよね?

実は、この「内藤氏」ですが、かつて「江戸幕府の成立以前」かの徳川家康公が江戸に入府する際に、先立ってこの「新宿」周辺で「鉄砲隊を率いて警備を行っていた」という功績を認められたため、後に付近一帯を拝領した、と伝えられているのです。

さらに、この時率いられた「鉄砲隊」ですが、実は「伊賀組鉄砲隊」として、忍者でおなじみの「伊賀者」であり、その後は現在の「大久保」を守る任務に就いたそうで、その際の名称が「百人組」であったことから「百人町」の名前の由来にもなっているそうです。

 

■明治~戦前にかけて「世界でも有数の繁華街」の土台を作った「新宿」

 

 

 

こうして、明治の世を迎えることとなった「内藤新宿」ですが、鉄道の開通以前には「住むものがない」という状況になってしまったようで、見かねた当時の「大蔵省」が、広大な敷地を持つ「内藤新宿」を買い上げ、当時海外から輸入され始めた「動植物」を検査・試験する「内藤新宿試験場」という施設などが置かれるようになりました。(これが後の「新宿御苑」のルーツです)

 

そして、鉄道の開通を迎えるわけですが、もちろん開通してすぐの時期は、一日の利用客数が「わずか50人程度」と、現在の面影がみじんもないような状況だったのですが、徐々に利用者数が増えていくと同時に、当時の「甲武鉄道(現在の中央線のルーツ)」や「京王電気軌道(現在の京王線のルーツ)」などが乗り入れるようになり、より現在の形へと近づいていくことになります。

 

さらには、かの有名な「関東大震災」により、住む家をなくした多くの人々が、地盤が強固であった故に大きな被害を被ることがなかった「新宿」へと移り住むようになり、爆発的に居住人口を伸ばすきっかけになったのだそうです。

 

この「地盤の強固さ」に加え、この「新宿」が持っている「強運」は、戦時中に大規模な空襲を受けたにも関わらず、目立った被害は少なかった、という所にも発揮されており、戦後はいち早く「巨大な闇市」が形成され、後の復興の「きっかけ」もつかむことになりました。

 

ただ、これらの「闇市が幅を利かせた時代」は、そう長く続くことはなく、政府からの「撲滅運動・政策」によって姿を消した跡地に、多くの小売店や商業施設が建設・開業された(戦時中からの混乱の中で一時商売を中止していた業者の再開なども含む)ことで、今日の「新宿」へ連なっていくこととなります。

 

 

■これからの時代も発展を続ける?「新宿」の今後はどうなっていく?

 

 

さて、今回最後のセクションでは、今回の主役「新宿」の「今後」についての考察・解説を進めていきましょう。

 

ごぞんじの方も多い通り、この「新宿」のまさに中心となる「新宿駅」やその周辺では、大規模な「再開発事業」が進められています。

 

もちろん、この「再開発」が行われる限り、今後の「新宿の発展」もほぼ「約束された未来」という所ではあるのですが、心配な部分としては「これまでと同様に、大規模な商業施設やオフィスビルが立ち並んだままであれば、新しい時代や、時代の流れと合わなくなるのでは?」という点でしょう。

 

この日本だけでなく、世界の有数な「大都市圏」では、先の「COVID-19(コロナ2019)」などの影響から、徐々に「人々が一箇所に集中し過ぎない街づくり」へとシフトしてきているため、これまでと同様に「新宿に人々が一極集中する」ことを前提としたプランに対して、不安を感じる人も少なくないようです。

 

今後どのように、時代の変化に沿った、新たな「新宿」が生み出されていくのか?については、賛否両論の真っ只中、という印象もある「新宿」ですが、今後の「新宿」が「さらなる発展を続ける姿」を楽しみにしつつ、今回はこの辺で「新宿の歴史編」を締めることにしましょう。

 

 

■まとめ:「新宿支社」を有する「グリーン警備保障」の仕事を始めよう!

 

 

さて、今回は「グリーン警備保障の支社がある街」の中から「新宿の歴史編」をお送りしましたが、皆さんいかがでしたか?

 

今回の「新宿支社」ももちろんのこと、私たちグリーン警備保障では、数多くの支社・営業所で幅広く「警備の仕事」を取り扱っておりますが、まだまだ「支社がある街に関する情報やエピソード」については勉強中であり、もっともっと多彩な情報をインプットしていきたいと考えています。

 

より「地域」に密着した形で、メインとなる「交通誘導警備」を数多く任せていただけるような「信頼」を得るためにも、「支社のある街」に関する情報発信を進めていきたいと思っています。

 

こちらの記事を見て、地元「新宿」をはじめとする、さまざまなエリアの警備のお仕事に興味の湧いた方は、未経験者でも働きやすい、グリーン警備保障へのご応募を検討してみてはいかがでしょうか?

 

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街中での歩⾏者や⾞に対しての安全でスムーズな案内・誘導業務です。

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