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『千葉の歴史編』-「支社・タウン情報」

2023年3月2日

当ブログにおいても、かなり定着した感のある「グリーン警備保障の支社がある街のタウン情報」ですが、今回は「千葉の歴史編」と題して、面白い紆余曲折を持つ「千葉の歴史に関する話題」をお送りしたいと思います。

では、今回もさっそく「千葉」に関する「歴史」についてバッチリ掘り下げていきますので、どうぞお楽しみに!

 

では、さっそく最初のセクションから!

 

■「千の葉を持つ地」=「緑が豊かな土地だった」のか?

 

 

さて、今回も「千葉」に関する歴史の話を進めていこうと思うのですが、この地の特徴を言い表しているかもしれない「千葉という地名」に関する由来と、そこにまつわる「疑問」から、詳しく解説していきましょう。

 

誰しもが想像しやすい部分かもしれませんが、この「千葉」という地名を見た時に「千の葉がある地域」を思い浮かべ、そこから「多くの葉が茂る土地だから、千葉なのかも?」という連想をしたのではないでしょうか?

ただこの考えは、完全な「正解」とはいえないものの、部分的には「当たり」であるかもしれません。

 

どういうことかというと、実はこの「千葉」という地名の由来には、非常に多くの説が、それぞれ「信憑性(しんぴょうせい)の高そうな裏付け」を伴う形で広まっており、どれも「正解」であり、どれも「不正解」というぐらいでしか、正確な所が絞れていないからなのです。

とはいえ、その説のいくつかには「茅(ちがや)や葛(くず)が生い茂る地」というように「植物由来のもの」も含まれており、古代には「応神天皇」自らがこの地を指して「千葉の 葛野を見れば 百千足る 家庭も見ゆ 国の秀も見ゆ」と詠んだ(日本書紀や古事記にもこの記載がある)とされており、ここからもその起源は「相当古い時代のもの」だったことがうかがえます。

 

さらにこれらの説の中には、後述する豪族「千葉氏」との関連性を持つものもありますが、よく言われる「千葉氏がこの地に拠点を設けたことにより、千葉と呼ばれるようになった」という説は「間違い」であり、千葉氏が成立する前から上記の句のように「地名としての千葉」が確立していたため、その流れはありえないという意見もあるそうです。(これらの関連性については後述します)

 

さて、そろそろ次のセクションにまいりましょう。

 

■「千葉県」とかつての豪族「千葉氏」の関連性はある?ない?

 

 

 

続いては、先程もチラッと触れた「千葉の地と千葉氏の関連性」についてお話を進めていきましょう。

 

この「千葉氏」ですが、その発祥は「平安時代」にまでさかのぼることでき、日本における「氏族」の中でもかなり古い部類の一族となります。

ただ、そのルーツは「桓武天皇」を先祖とする「桓武平氏」と呼ばれる氏族と言われているため、歴史でおなじみの表現をするならば、いわゆる「平家」のひとつとなるでしょう。

ここからも分かる通り、この「千葉氏」の初代は「平常兼(たいらのつねかね)」といい、自身が住んでいた「下総国千葉郷」に因んで「千葉大介(または「千葉介」とも)」と自らを号した所が、この「千葉氏」のはじまりとされています。(この説を信じるならば、前セクションでの「千葉氏にちなんで千葉という地名になった」というのは間違いとなる)

 

さらにはこの「千葉氏」が率いる「下総国」と、同じ平氏から分かれた「上総国」を率いる「上総氏」の間では所領を巡った争いがあったため、このことからも「現代の千葉県にあたる一帯は、千葉氏だけのものではなかった」ということがわかりますね。

後には、この「上総国」の勢力も「千葉氏」や「下総国」に屈し、最終的は「千葉の地を一手に支配する豪族」となった「千葉氏」ですが、その衰退は思いのほか早く、室町時代を迎える頃には本拠地を「佐倉市」の辺りに移すことになったのだそうです。

数多くの支流があったことから、現在にもその名を連ねる「千葉氏・千葉一族」なのですが、実は、戦国大名としての「千葉氏」はすでに滅亡しており、属していた家や家臣の多くは「帰農」、つまり「農民」になっていったと言われていますので、その名のごとく「多くの葉が生い茂る」中へと帰っていったのかもしれません。

 

■現在の「千葉県の母体」となった「新治県・印旛(いんば)県・木更津県」とは?

 

 

前述の「千葉氏」の中でも、支流となって改姓し、主に奥州でその名を馳せた「相馬氏」などは、明治維新まで「近世大名」として激動の中を駆け抜けるのですが、ここで「地名としての千葉」に再び話は戻ります。

 

歴史の教科書などでも知名度の高い「廃藩置県」により、なんと「26県」もの多数の県が成立することとなった房総地方は、実施された1871年(明治4年)の11月に、当時全国的に進められていた「県の廃合」によって「新治県・印旛県・木更津県」という3県にまとめられましたが、早くも1873年(明治6年)には、上記の3つの内「印旛県・木更津県」の2つが合併して、とうとう「千葉県」を名乗ることになります。

残りのひとつとなった「新治県」ですが、こちらもかなり早いペースとなる1875年(明治8年)には「茨城県」への編入が決まったのですが、この際に一部の地域を「千葉県と茨城県」でトレードする形で「旧新治県の一部が千葉県に編入される」ことになるのです。

いわば、現代の「千葉県」のルーツとなるのが、この「新治県・印旛県・木更津県」の3県なのですが、厳密に言うならこの後も「千葉県における他県への編入、あるいはその逆として、他県から新たに千葉県に編入される」という動きが続き、ようやく現在の「千葉県域」が固まったのは1899年(明治32年)のこととなります。

 

その後、この「千葉県」は、さまざまな条件を揃えていたことから「軍都」としても知られていくこととなりますが、このあたりのお話については次の機会とすることにしましょう。

 

■さらに広範囲の発展を続ける?「千葉」の今後はどうなっていく?

 

さて、今回最後のセクションでは、今回の主役「千葉」の「今後」についての考察・解説を進めていきましょう。

 

ごぞんじの方も多い通り、現在の「千葉県」は、非常に広い土地を持ち「東京湾アクアライン」などが建設されたことで移動しやすくなったとはいえますが、市街地とそこから離れた地域とでは、生活環境や人口、商圏などで大きな違いがあるため、一概に「〇〇が特徴」と評することができません。

ただ、さらに地域を限定し「千葉市」とするなら、知名度も高い「東京都市圏の一角」であり、日本の市町村で言えば「12番めとなる人口の多さ」を誇る「大都市」となっていますので、今後も「国際的な都市のひとつ」としての発展を続けていくことでしょう。

 

さらには「成田国際空港・東京国際空港」から「約35キロ圏内」の所に位置し、東京都支部からのアクセスも容易、加えて「幕張メッセ」など国際的な施設も有しているため、広く「世界へと発信できる都市」としての働きも期待されています。

このように、未来への期待度が高まる「千葉」ですが、今後の「千葉」が「さらなる発展を続ける姿」を楽しみにしつつ、今回はこの辺で「千葉の歴史編」を締めることにしましょう。

 

■まとめ:「千葉支社」を有する「グリーン警備保障」の仕事を始めよう!

 

さて、今回は「グリーン警備保障の支社がある街」の中から「千葉の歴史編」をお送りしましたが、皆さんいかがでしたか?

今回の「千葉支社」ももちろんのこと、私たちグリーン警備保障では、数多くの支社・営業所で幅広く「警備の仕事」を取り扱っておりますが、まだまだ「支社がある街に関する情報やエピソード」については勉強中であり、もっともっと多彩な情報をインプットしていきたいと考えています。

より「地域」に密着した形で、メインとなる「交通誘導警備」を数多く任せていただけるような「信頼」を得るためにも、「支社のある街」に関する情報発信を進めていきたいと思っています。

こちらの記事を見て、地元「千葉」をはじめとする、さまざまなエリアの警備のお仕事に興味の湧いた方は、未経験者でも働きやすい、グリーン警備保障へのご応募を検討してみてはいかがでしょうか?

 

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