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『厚木の歴史編』-「支社・タウン情報」

2023年4月5日

当ブログにおいても、もはや定番となった「グリーン警備保障の支社がある街のタウン情報」ですが、今回は「厚木の歴史編」と題して、神奈川エリアの「厚木の歴史に関する話題」をお送りしたいと思います。

もちろん、今回も「厚木」に関する「歴史」についてバッチリ掘り下げていきますので、どうぞお楽しみに!

では、さっそく最初のセクションから!

 

■約9,000年前から人々が集う「厚木」

 

 

今回ご紹介する「厚木」ですが、神奈川エリアの他の支社がある街と比べると、若干知名度の点で劣る部分がある、と考える人も少なくないでしょう。

しかし、この地の歴史を紐解いてみると、有史以前から多くの人々が集う地であったことが確実視されており、具体的には約9,000年前、縄文時代の頃から、多くの集落が存在していたことがわかっています。

 

ただ、同じ神奈川県内でも、この「厚木」は、海に面していない地域であり、当時の採集狩猟生活において、非常に重要な要素である「食料調達が容易」という面では一歩譲る結果となるはずです。

当時メインの生活用具となっていたのは、石器や土器であるため、当然、山地や平野部での狩猟よりも、海に面した地域での採集の方が、安定した食料調達が可能であったことでしょう。

その謎を解き明かすためには、今後の考古学的な研究や、遺跡の発掘が不可欠でありますが、肥沃な大地として知られる地域でもありますので、その後の弥生時代。古墳時代などにおいては、農作物の収穫などの面で優れていたことは間違いありません。

 

もうひとつ、付け加えるなら、この地域においては、相模川をはじめ、豊かな水量を持つ河川が多く、安定した採水が期待できることから、ある意味食料よりも優先されるべき「飲水」の入手が容易だったことも考えられます。

さて、そろそろ次のセクションにまいりましょう。

 

■鎌倉幕府における重要地域、源頼朝や毛利氏ゆかりの地「厚木」

 

 

続いては「武士が支配する時代」としては最初期の「鎌倉時代」における「厚木」について解説していきましょう。

 

ごぞんじの方も多い通り、この鎌倉幕府は、源氏の棟梁である「源頼朝(みなもとのよりとも)」によって、1191年(建久3年)に開府されましたが、この「厚木市」からもアクセスしやすい「鎌倉市」を中心地としています。

もちろん、武家による政権であるため、当時の幕府では、政治を行う上で切っても切れない関係性を持つ朝廷に詳しく、さらに法律などの知識に長けた人材が求められていました。

この条件にピッタリとマッチしたのが、大江広元(おおえ ひろもと)という人物なのですが、実はこの人物、武家ではなく貴族であったのだそうです。

 

その出自や知識を存分に生かし、幕府開府に多大な貢献をした広元のために、領地が褒美として与えられたのですが、その土地こそ「相模国毛利庄」であり、現在の「厚木」だったそうです。

ここで「毛利」という名前を見て、ピンときた方もいらっしゃるかもしれませんが、実はこの広元の四男であった大江季光(おおえ すえみつ)は、この「毛利庄」に在住していたことから後に改名し、領地から取った「毛利」を姓とし「毛利季光」となったのだそうです。

後の戦国時代の雄として、その名を知られた「毛利元就(もうり もとなり)」をはじめ、多くの傑物を排出した「毛利氏」の由来は、実は「厚木」だったということになりますが、父があくまで「貴族」として幕府に関わったのに対し、季光はあくまで「武家」として身を立てることになった、ということでもあります。

 

■実は「米軍厚木基地」は「厚木市」にない?

 

 

時代は一気に下り、話題は、戦前、戦中に「帝国海軍の航空拠点」として産声を上げた、現在の「米軍厚木基地(正式には「厚木海軍飛行場」)」に移ります。

実は、この「厚木基地」なのですが、地元住民なら知っている方も多い「意外な事実」として「厚木の地名が入っていながら、厚木市に存在していない」のです。

実際には「大和市」と「綾瀬市」にまたがる形で存在しており、その間には「海老名市」や相模川などが隔てているため、地理的に「厚木市」との関係性が皆無の状態となっています。

 

では、どうして「厚木基地」という名称になったのでしょうか?

これもミステリーのひとつなのですが、その理由には諸説あり、恐ろしいことにどの説も「最終的な説得力に欠ける」ものばかりであるため、どうしてこうなったのかが特定できないのだそうです。

 

その中のひとつ、比較的「信憑性が高そうな説」をひとつご紹介しておくと、戦中の「海軍航空拠点」時代に、当時の最高機密であった「戦艦大和」と同じ名前を持っていた所在地(大和市)を名称に入れることができなかった、というものなのですが、かなり「それらしい話」ではあるものの、証拠となる資料や事実、証言などは出てきていません。

ただ、上記の説は、1944年(昭和19年)に、奈良県に「大和航空基地」が登場しているため、デマの可能性が限りなく高いのですが、妙な説得力があり、広まりやすい話であるためか、間違って覚えている方も非常に多いと言われています。

 

果たしてその真相は、どうなのでしょうか?

もちろん、本記事中でその結論は出せませんので、興味のある方は調査してみることをオススメしておきます。

 

■住みやすさやB級グルメでも注目を集める?「厚木」の今後はどうなっていく?

 

 

さて、今回最後のセクションでは、今回の主役「厚木」の「今後」についての考察・解説を進めていきましょう。

 

数年前から現在へとつながる話ではありますが、近年では「本厚木駅」が大手不動産会社による「住みたい街ランキング」にて、並み居る強豪を抑えて第1位を獲得することが増えてきています。

さらに、こちらはすでにブームも過ぎ去ってしまいましたが、ご当地発のB級グルメである「厚木シロコロ・ホルモン」など、住みやすさや食文化において、県内だけでなく多くの地域から、この「厚木」が注目を集めています。

 

もちろん、これらの要素だけで、今後の発展が確実なものになるわけではありませんが、エリアの知名度が全国区へと発展していくことが続けば、一層都市開発にも力が入ることとなり、地元住民や地元ゆかりの事業などもさらに盛り上がっていくことが考えられるため、現在の「厚木」の発展期待度は高い水準にある、といっても決して過言ではないでしょう。

このように、期待度が高まる「厚木」ですが、今後も、さらなる発展を続ける姿を楽しみにしつつ、今回はこの辺で本記事を締めることにしましょう。

 

■まとめ:「厚木支社」を有する「グリーン警備保障」の仕事を始めよう!

 

さて、今回は「グリーン警備保障の支社がある街」の中から「厚木の歴史編」をお送りしましたが、皆さんいかがでしたか?

今回の「厚木支社」ももちろんのこと、私たちグリーン警備保障では、数多くの支社・営業所で幅広く「警備の仕事」を取り扱っておりますが、まだまだ「支社がある街に関する情報やエピソード」については勉強中であり、もっともっと多彩な情報をインプットしていきたいと考えています。

より「地域」に密着した形で、メインとなる「交通誘導警備」を数多く任せていただけるような「信頼」を得るためにも、「支社のある街」に関する情報発信を進めていきたいと思っています。

こちらの記事を見て、地元「厚木」をはじめとする、さまざまなエリアの警備のお仕事に興味の湧いた方は、未経験者でも働きやすい、グリーン警備保障へのご応募を検討してみてはいかがでしょうか?

 

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街中での歩⾏者や⾞に対しての安全でスムーズな案内・誘導業務です。

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